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戦時中、大久野島には毒ガスの製造工場がありました。 日本軍が毒ガスを使用していたということは、昭和59年(1984)まで日本ではほとんど知られていません。化学戦の実態は慎重に秘匿され、旧軍関係者以外の日本人はほとんど事実を知らなかったのです。昭和59年(1984年)に日本の化学戦実施に関する資料が報道されて以来、日本の毒ガス兵器の研究開発は旧陸軍科学研究所(東京)、大量製造したのは大久野島(広島県竹原市忠海)、充填は曽根(北九州市)、化学戦の運用、訓練には旧陸軍習志野学校、と言った日本の化学兵器の構図(陸軍習志野学校史)が明らかにされています。今、大久野島は休暇村として開発され国民の保養地となり、住時を偲ばせるものは、わずかに砲台跡・発電場・毒ガス貯蔵庫など数少なくなっていますが、この島で毒ガスを製造した過程で多くの犠牲者を出すに至ったこと、この痛ましい事実を今に伝えるため、関係各位からよせられた当時の資料を展示して毒ガス製造の悲惨さを訴え、恒久平和を希求します。この資料館は、広島県、関係市町並びに障害者団体のご理解と、ご協力により建設されたものです。
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